ニヒリズム脱却のヒント? 最新の哲学から学べることとは?
人間が存在していることに意味があるのか。
人生のどこかで、そんなことを思ったことはありますか? 今日の世界情勢や環境問題、そして社会不安のことを考えると、現在進行形で「人間が存在している意味」に疑問を持っている方は増えているのかもしれません。そしてその疑問が強まると、一種の「絶望感」を感じやすくなるのではないでしょうか。
そんな「絶望感」を克服するための方法があるのか。本日は、マルクス・ガブリエル著の「なぜ世界は存在しないのか」を通して、そのことについて考えてみたいと思います。
目次
ニヒリズムとは? 絶望との関係
「人間の存在に意味は無い」と考える立場を「ニヒリズム」と呼びます。日本語だと、「虚無主義」と訳されますね。
ニヒリズム自体は、一種の哲学的解釈であるため、良いことでも悪いことでもありません。問題は、どうやってニヒリズムに反応するか、だと思います。中でも、よく陥ってしまう反応の一つが「絶望」ではないでしょうか。
※もちろん、ニヒリズムをポジティヴに捉えることで、悩みを減らそうという考え方もあります。詳しくは、Nihilism can make you happier, even in the Covid era. No really, let me explainをご覧ください。
人は絶望すると、どうなってしまうのか。
一例として、自暴自棄な行動を取ってしまったり、より良く生きようとする努力を止めてしまいます。絶望した結果、自分を傷付ける行動を取ってしまい、さらに絶望するという悪循環が発生してしまう可能性もあります。そして、この悪循環が世界的に拡がると、日々80億もの生命体が、ネガティヴな無限ループに陥ってしまいます。少し極端な話かもしれませんが、それだけのことを引き起こす力が、絶望にはあるように見えます。
そう考えると、日増しに強くなっているように見える絶望に抗う「免疫力」みたいなものが、必要なのではないでしょうか。それを身につけるためには、どうしたら良いのか。
そのヒントになるのが、「私たち人間が存在するとはどういうことか?」を問い続けることだと思います。
「存在」とは何かを問う、実在論
大雑把にまとめると、実在論とは「物事が存在するとはどういうことか?」を考えることです。
例えば、「私が見ている太陽は本当にあるのか」や「ファンタジー小説の中に出てくるエルフは存在していると言えるのか?」等の疑問に答えることも、実在論のテーマです。そのため、実在論とは「何かの存在について考えること全般」と言い換えても、良いかもしれません。
そんな「実在論」ですが、今巷ではブームになっているそうです。
参照:現代思想の新潮流・2010年代後半の「実在論ブーム」が面白い! 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
そのブームを作るきっかけとなった本が、冒頭にて少し触れた、「世界はなぜ存在しないのか」です。著者のマルクス・ガブリエル氏はドイツの哲学者で、29歳の時に大学教授に就任した実績を持つ、哲学界のスーパースター的な存在です。
ここで簡単に、「世界はなぜ存在しないのか」がどんな本であるか見てみましょう。
21世紀の哲学として俄然注目されているのが、新たな実在論の潮流です。
その背景にはグローバル化が進んで国家や個人の意味が失われつつある一方で、人工知能の劇的な発展を受けて「人間」の意味そのものが問われつつある状況があるでしょう。 こうした新たな問いを多くの人に知らしめたのが、本書にほかなりません。
「本書のタイトルにもなっている「なぜ世界は存在しないのか」という挑発的な問いを前にしたとき、何を思うでしょうか。世界が存在するのは当たり前? でも、そのとき言われる「世界」とは何を指しているのでしょう? 本書は、日常的な出来事、テレビ番組や映画の話など、豊富な具体例をまじえながら、一般の人に向けて書かれたものです。
先行きが不安な現在だからこそ、少し足を止めて「世界」について考えてみることには、とても大きな意味があることでしょう。
引用元:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195628
どうでしょうか? 哲学的な記述も確かに多い本ですが、興味がある方は、ぜひお読みいただければと思います。説明文にもある通り、私たちがよく知っている映画やテレビドラマが具体例にたくさん出てくるため、読みやすい哲学書だと思います。
ここでは詳しい説明は省きますが、ガブリエルの「世界が存在しない」という主張の礎にあるのは、「存在すること」の定義です。
ガブリエルは、「存在する」というのは何かが「意味の場」に現れることだ、と考えています。
どういうことでしょうか?
「意味の場」とは、文脈やコンテキストという意味に近いと思います。例えば、音楽を例にとって考えてみましょう。
科学的な見解ですと、音楽を聴くという行為を、シンプルに鼓膜が振動に反応する現象として捉えることができます。一方で、普段私たちが音楽を聴く際は、感動したり、歌詞に共感したり、メロディーを楽しんだりしますよね? その一連の体験を、音楽を聴くこととして認識していると思います。
では、音楽を聴くとは何なのでしょうか? どちらが正しい理解なのでしょうか? ガブリエルの考え方だと、「どちらも正しい」です。どちらの見解も、それぞれの「意味の場」においては、ちゃんと「存在」しているからです。
この「意味の場」が、ガブリエルの存在論の根幹となる考え方です。「意味の場」は無数に存在しており、日々新しく生まれたり、消えたりするものです。私たち人間は、常に流動的に「意味の場」たちに出入りしている。また、複数の「意味の場」に同時に所属している。
別の言い方をすると、私たちは常に「意味」と向き合っている生物なのです。
人間の本質は意味を追求すること?
ガブリエルの存在論によると、私たちは「存在」と「意味」を切り離すことができません。つまり、「意味」から逃げることができないのです。しかし逆に言うと、無限の「意味の場」を作り出すポテンシャルを持っている、とも言えます。
人間は、時には悩み、時には喜び、自身の人生をよりよく生きるために柔軟に物事を解釈して、無尽蔵に意味を生み出せる。
そんな新しい人間像を、ガブリエルの存在論は示してくれます。そして、カオスな現代社会においても、哲学することの重要性を教えてくれているのではないでしょうか。
まとめ
本日は、希望を失わずに現代社会を生きるヒントを得るために、マルクス・ガブリエルの「存在論」に触れてみました。
実生活に役に立たない、何だか気難しい話をしていてよく分からない、というイメージがある哲学ですが、思っている以上に、私たちの人生を豊かにしてくれる可能性があるのかもしれません。ニヒリズムや絶望の影響を受けやすい今日だからこそ、「人間とは何か?」という問いに立ち戻ってみるのも良いかもしれません。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。